2022.11.07

家業を継ぐという選択は自由の始まりであってほしい【聡窯・辻拓眞】

なりわい 辻拓眞(聡窯)
家業を継ぐという選択は自由の始まりであってほしい【聡窯・辻拓眞】

有田の未来はおもしろい。明るい気持ちでそう信じられるのは、有田のこの先10年、20年を担っていく『ゴキゲンな人』たちがここにいるから。たくさんいるから。

有田のゴキゲンな人たちの心のうちを覗き見るインタビューの1本目、登場するのは、新進気鋭の若手作家として注目される辻拓眞さん。家業である『聡窯』の継ぎ手として。あるいは、個人の作家として。有田を世界の有田たらしめる「窯業」の未来をどう想像し、創造していくのか。

その腹のうち、心のうちを、聞いてみたいので聞いてみました。

聞き手・文章:いわたてただすけ

 

 

継ぐという言葉には正直なところ戸惑いがある

 – 聡窯は約70年の歴史がある窯元です。四代目として、家業を継ぐことは決断しましたか。

表向きには「家業を継いだ」と言うんですが、継ぐという言葉には正直、戸惑いがあります。窯主はまだ、聡窯三代目の父。僕はそのなかの、いち作家という立ち位置です。聡窯は四代、生まれ育った場所も、焼き物を作る環境も一緒ですが、作風はそれぞれ結構違うんですね。どちらかというと線というより点。点が続いているから、遠くから見ると線に見える感じが跡を継ぐということだと思っていて、自分も新たに加わる点のひとつであって、じゃあ、これからどこにどんな点を落とすのかで、「継ぐ」という言葉の中身は変わってくるんじゃないかな。

そういう風に考えると、一度有田を出たいという気持ちもすごくあります。四代続いている聡窯にはリアルな環境、窯やギャラリーや在庫があります。それは得がたい資産であることは重々、わかっていますが、一方では、それが有田という土地に根を張らなくてはいけない「負債」や「足枷」になってしまう側面も否定はできません。あんまり大きな声では言えませんけどね。

なので特別なきっかけがあって継ごう、継ぎたいと思ったというよりは、継ぐという選択肢がボディブローのように少しずつ利いてきたという感覚でした。家族からのプレッシャーということもなく、どちらかというと有田の環境ですね。自分のことを知っている人が「将来楽しみだね」と言ってきていたので。大学で美術を学んで、窯業大学や窯業技術センターで働いて、中学校で美術教師をして。近い仕事をしてきたので、周囲も自分も、いずれという気持ちにはなったのかな。

 – 実際に初めて窯業を仕事にしてみて、おもしろさを感じたのはどんなところですか。

作家目線で見た磁器の魅力は、自分の手を離れていくところ。自分では完璧だと思って描いた絵に、釉薬をかけて窯に入れて、窯から出てきたら想像していたものとはめちゃくちゃ違うんです。自分の能力を離れて、自然の力で最後の出来が決まってしまいます。矛盾するようですがコントロールできないところをコントロールしようと四苦八苦するところ、が他の画材、他の手法と違うところ、特別おもしろいところです。教師は特にそうでしたけど、やはり仕事の多くにはマニュアルがあるので、自由や偶然性が、作家の仕事の魅力だと改めて感じています。

 

外の人、外から来た人と熱量のある会話がしたい

帰ってくる=継ぐということではない。産業が続くというのは、もっと熱いこと。

 – 家業が有田にありながら、先ほど「一度有田を出たい」と言った真意を教えてください。

大学で美術史を研究していた時に、有田を中心とした肥前の地区の作家を調べたことがありますが、有田焼のルーツはすべて有田の内側にあるわけではなさそうでした。どうもいろんな地域から技術や志を持った人たちが集まって、今の有田のスタイルがだんだんできあがっていったらしい。となると今、有田にいる人たちも、有田の内側に留まり続けなくても良いのではないか。作家個人としては、違う産地を勉強してその上でものづくりをしていきたい。そう考えるようになりました。有田を大切にしない、わけではなくてですね。

僕は大学生時代も、勤め人だった時代も、ずっと有田暮らしで外に出たことがないので、だからこそ「外に出てみたい」気持ちが強いのかもしれません。一番気になっているのは、京都ですね。うちの祖父が香蘭社(※1)に勤めていた時代の、お師匠さんが京都出身の方でした。聡窯のルーツを京都に訪ねてみたいです。作家は土と窯さえあればどこでも生きていける人間なので、いずれは多拠点で活動していけるといいなぁ。

外に目を向けたきっかけのもうひとつが、外から有田にやってきた作家さんとの交流です。父が昔、有田の窯業大学で先生をしていたときの話なんですけど、生徒たちに聡窯の窯を貸して、よく作業をさせていたんですね。半分趣味、半分ボランティアみたいな感じで。僕も当時同年代で、作家志望のその人たちと同じ環境で触れ合って、よく語り合いました。遠くから、わざわざ有田を選んでやってきて日々励んでいる人は、やっぱり熱かったですね。同じ空間にいることがめちゃくちゃ楽しくて、自分もこの道でみんなと一緒に仕事をしていきたいと思いました。

ただ、仲良くなった人たちの多くが「自分が思い描いていた未来」に届かず有田を離れていく場面も目にしてきました。そこの仕組みを変えること、外から来た人が定着しやすい環境を作ることに興味があります。本当にこれは、個人的な思いですけど、よそから来て焼き物をやりたという人に影響されて自分も作家として働きたいと思ったから。だからこの問題はなんとかしたい。他の産地では外から来た人たちがしっかり定着して、地域の熱を上げているところもあります。産地で生まれた自分だからこそ、産地に来てくれる人、働いてくれる人を応援したい気持ちが強くあります。

 – 外に出て学ぶだけでなく、外から来た人とも学びあう環境作りですね。

もともと、作家は一人で机の前、土の前に向き合う仕事なので、すごく寂しい、孤独です。有田の外から来た人は、なおさらですよね。だから応援したい。私自身も多くの人、いろんな考え方と触れ合いたいです。友人として好きなタイプは、よく喋る人。作業中はずっと無言なのでその分、プライベートでは熱く喋りたいです。同じ業界の人ではなくても、思いのあるところを伝え合いましょう。お互い、良い刺激、勉強になると思います。

※1 香蘭社:有田町の大手陶磁器メーカー。

器じゃなくなってきている、美術品を売るという感覚でいいと思う

非売品の『築 -kizuku-』。まだこの世界になかった価値を模索していく。

– ビジネスとしての窯業をどう考えますか。作家として、どんな活動に力を入れるのでしょうか。

有田に変化は必要だと思いますね。どうしたら変化が起きるのか…言い方が悪いかもしれませんが、一人勝ちすることだなと思います。まず個人として成功する。そういう人が増えていくことですね。

よく思うんですけど、10万円のものを1人に売ることと1,000円のものを100人に売ることを比べると多分、後者の方が難しいんです。でも多くの人が1,000円のものを100人に売ろうとしてしまう。売れてる実感を得やすいからそこに労力を費やしちゃう。そういう仕組みをフル稼働していて、簡単には止められなくなっている現状というのは、有田というか窯業というか、他の地域や産業にもよく見られる傾向なんじゃないかな。少なくとも作り手側にとっては、10万円のものを1人に売る方が幸せの総量が増えるような気はしています。

個人の作家としては、安いものを売る努力じゃなくて高いものを売る努力を目指していきたいです。じゃあそのために何をしたらいいか、作家個人の価値を高める方法については、今まさに探している途中です。が、憧れの作家さんとかもいて、その人たちの真似をしたりしています。

たとえば甲冑のお面みたいな器を作っている大学時代からの先輩(古賀崇洋氏)がいるんですが、その人が博多駅の駅ビルの1階で展示したことがあったんですね。ルイヴィトンだとかのハイブランドと並んで。こういう売り方なんだなと思います。作品の値段が高いので、ほとんどの人は買ってはくれない。でも、たくさんの人の目に触れて、記憶には残ります。

それまで聡窯は百貨店の6階、7階の美術画廊などで展示をしてきました。公募展や日展(※2)への出品もしてきました。賞を重ねて、自分の名前を売るというやり方で勝負してきました。でも、やっぱりというか一般の人の目にはあまり触れません。有田の人でも、若い人も、僕のこと、僕の作品について知っている人は、ほとんどいません。多分、やり方が違うんだろうなと思います。自分はまだ30歳と若いのに古(いにしえ)の作家をやってしまっているなと。これからずっとこのやり方ばかりを続けてしまうと、最後のひとり、ラストサムライみたいになってしまうんじゃないかと心配です。

直近では、パリでの展示会(※3)に作品を出品することが決まりました。売り方、売る場所にはものすごく興味があります。適切な価格で売る手法を確立することは自分個人だけでなく、他の作家さんの助けにもなると思いますので、海外展開を含めて幅広い選択肢を考えていきたいです。できることは無限にあるはずです。

※2 日展:日本最大の総合美術展覧会のこと。

※3 Salon Art Shopping Paris 2023:カルーゼル・デュ・ルーブルというルーブル美術館の地下で開催されるアートマーケット。

 

家業を父が率いるうちに、この先の数十年を自由につくりたい

儲かるかどうかより、みんなが幸せかどうかという判断を協創していく感覚。

 – 作家個人としての活動には楽しみな未来が感じられました。では「継ぐ」という目線では、家業の「聡窯」とどう向き合っていくのでしょうか。

じゃあ聡窯、自分のところの窯元をこれからどうしていくかというとそれが一番の悩みどころです。父は拡大したいと言ってるんですよ。でも自分は縮小したくて。拡大できるかどうか能力的な問題はいったん横に置いておいて、伝統ある有田という土壌で、四代も続く窯元を継ぐということは本当に子が背負うべき責任なのかなと思ったりはします。有田焼という伝統はまだずっと続いていく、とは思いますが、会社という一組織のブームは、限界が来るのがもう少し早いかもしれません。後継者は有田焼という産業そのものを受け継ぐわけではなく、家業としての窯を受け継ぐのだから、もう少し慎重に考えないといけません。一括りに有田焼の話をする前に、まず窯ひとつひとつをどうするか。そのへんはシビアに試行錯誤したいです。

父が聡窯を率いていてくれるから、自分はまだ自由に動ける時間があります。この業界で働いてまだ10年くらい。じゃあこの後の10年で、その時はまったく違う何かを喋っているかもしれませんが、今現時点で自分が思う有田のこと、有田で家業を継ぐということへの思いはこんなところです。この記事を読んだ方はぜひ、お声かけください。聡窯への訪問も、SNS等でのメッセージも歓迎します。お互いの熱いところを語り合いましょう。

このインタビュー企画は、有田の未来をおもしろくするゴキゲンな人たちが繋がり増えていくことを目的としています。辻拓眞さんに興味がある、ちょっと異論がある、とりあえず一緒にお茶かお酒か行かないか。という方は、辻拓眞さんもしくは灯すラボまでご連絡いただければと思います。

今後も続々と、有田のゴキゲンな人をご紹介していきます。お楽しみください。

 

聞き手・文章:いわたてただすけ
写真:壱岐成太郎

 

 

辻拓眞(聡窯)のプロフィール

1992年佐賀県有田町生まれの陶磁器作家。金継ぎ作家。
佐賀大学で美術を修学後、有田窯業大学校、窯業技術センター、高校美術教師と勤めに出た後、窯元『聡窯(そうよう)』の四代目(暫定)として作家活動を開始した。

【聡窯】
有田焼の工房。1954年に前身である『新興古伊万里研究所』を設立し、12年後に『聡窯』に改名。現在に至る。土に彫りを入れる「線刻技法」とグラデーション豊かな風景描写に大きな特徴がある。

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