2023.03.17

選択を積み重ねて、自分らしくのびのびと生きられる未来へ【賞美堂本店・蒲地亜紗】

地域 蒲地 亜紗(賞美堂本店)
選択を積み重ねて、自分らしくのびのびと生きられる未来へ【賞美堂本店・蒲地亜紗】

今自分がいる場所、仕事、暮らしの形。
繰り返す毎日のひとつひとつ。
思い通りにならないことも多いけれど、私たちは小さな選択の積み重ねで生きている。

選択肢を自分で考えて、「選んで」「決める」
そのことを普段どれくらい意識できているだろうか。

 1948年創業の有田焼商社、賞美堂本店。
現会長の長女である蒲地 亜紗(かもち あさ)さんは、2018年に東京から有田へ帰ってきて、3年後に後継ぎとして専務に就任した。

 でも亜紗さんは、長女だからという理由で後を継ぐわけではない。子供の頃から後を継ぎなさいと言われていたわけでもない。
自分で選んで、後を継ぐことを決めた。

 「いつの頃からか、自分で選んで自分で決めるっていうことに興味や関心があった」と語る亜紗さん。
亜紗さんは以前にも、灯す屋が主催したトークイベントで、選択肢をキーワードに語ってくれたことがある。

おもしろい未来の実験室。灯すラボのはじまりと、これから。 -うちやま百貨店トークイベントレポート-

今回は、「選ぶ」こと「決める」ことについて、亜紗さんのお話を聞きながら考えてみたい。 

 

自分で選ぶことを大事にされた家だった

 

歴史ある商社の長女ともなれば、子供の頃から家庭内では後継ぎとしての期待が大きかったのではないか。話を聞く前にはそんな想像をしていた。 

「子供の頃、そうしなさいって言われたわけじゃないけど、家の名前に傷をつけちゃいけないって気持ちから、行動を自重することはありましたね。でも段々と賞美堂の子って目で見られる煩わしさみたいなものを感じて、公務員の家の子に生まれたかった!って言ったこともあったりして(笑)本当にそう思ってたわけじゃないんですけど」

実際には、家の中で賞美堂の後継ぎとして特別に教育をされたり言い聞かせられたり、または何かを制限されたりということは無かったようだ。

「何かを強制されることはなかったです。部活も習い事も、したければする、したくなければしない。陶器市の手伝いも絶対しなさいと言われたことはないですね。もしも手伝わずに遊んでても怒られないし、かと言って手伝って特別褒められることもないんですけど。でも手伝って売れたら嬉しいから手伝う、みたいな」

そんな亜紗さんはどんな子供だったのだろう。

「小さい頃から、理屈の通らないことが嫌いで。例えば先生が勘違いでクラスの子を怒ったりしたら、それはおかしいと思いますって文句を言う子でした」

ちょっと生意気な子で、と笑う亜紗さん。
しかし、公正な目で見て自分の意見をしっかり持ち、それを発言するというのは、実は大人でも難しい。
亜紗さんがそんな風に真っ直ぐでいられたのは、家族の存在が大きいのだと言う。

「先生にそんなこと言うもんじゃないとか、家でそういう統制を受けなかったんですよね。こういうことがあったんだよ!って話したら、それは先生がおかしいよねってちゃんと聞いてくれたりとか」

「子供だから」「女だから」とカテゴライズされることなく一人の人間として意見を尊重されてきたことが、亜紗さんの自主性や自己肯定感を育んでいった。

「思ったことは言って良いんだって思える環境で育ったんですよね。自分が何を言っても無駄だとか価値がないとか思わずにいることができて。振り返るとそういうことが今の自分に大きな影響を与えているなと思いますね」

 

家を継ぐという選択

 

進路についても強制されることはなく、自分で調べて決定した亜紗さん。その時にも将来的に継ぐという考えがあったわけではない。東京での仕事は充実していたそうだが、どうして有田に帰って家を継ぐことを決めたのか。

まず、一つのきっかけは結婚だった。

「夫と結婚する時に、彼が自分は次男だから蒲地姓になっても良いよって言ってくれて。その時までは全然継ぐこととか考えてなかったんですけど。二人で話し合って、東京で子育てとかしてから晩年有田に帰って何とかなる程甘くないし、失敗するなら若いうちが良いよねって」

東京で同じように企業経営のサポート業務に携わっていた夫の卓也さんは、陶磁器業界と無縁ではあったものの、経営そのものに高い関心を持っていた。もしも他の人と結婚していたら、全く違う道だったかもしれないと亜紗さんは話す。

卓也さんの提案から目の前に現れた選択肢。その道を進んだのは、それを選び取りたいと亜紗さん自身が決めたからだ。

社会人になってからも陶器市になれば手伝いのために有田に帰っていた亜紗さん。そこで得る感覚は特別なものとして根付いていたようだ。

「曾祖父や祖父が考案した商品を母が繋いできて。それを私がお客様にお勧めした時に、素敵ですねって買ってもらえるのは、他には代えられない喜びがあったんですよね。楽しい!!って、もうめちゃくちゃアドレナリンが出て。その想いは手伝いで帰るたびに強くなっていました」

染付って何?ってところから

 

そうして家を継ぐことを決めた亜紗さんは、2017年に賞美堂本店に入社する。しかしこの家の長女だからと言って、知識や経験が十分にあるわけではない。

「改めて入社するってなった時に、カタログ見ても名前がそもそもわからないと思ったんですよね。焼き物の名前って技法・柄・形の順番に書くみたいなルールがあって。技法や柄に関しても染付って?染錦って何?ってところからわからないから、祖父の書棚から焼き物辞典を引っ張り出してきて意味を調べて構造を分解して、ようやくなるほどって」

何事も勉強から入るのが好きだという亜紗さんは、カタログや辞典とにらめっこしながら用語の意味を理解するところから始めた。

「窯元さんと話していると新しい知らないことが出てきて、それを教えてもらって、自分で調べ直して、っていうことの連続で。ここまで勉強すれば大丈夫だっていうところまで全然到達しないんですよね。一年前にこの知識があれば、もっとこうできたのに!って言う(悔しい思いの)繰り返しです」

勉強がいつまでも終わらないと言いながらも、新商品の開発やレシピブックの出版、インスタグラムでのライブ配信など亜紗さんの手がけていくスピードは速い。

守り継ぐこと。
新しいものを送り出すこと。
発信すること。

あらゆる全てを同時進行でも妥協しない、攻めの姿勢。

亜紗さんを動かすものは何か。

 

自分が選んだことを正解にする

 

「今日も明日もここにいる、この仕事をしているっていうのは、それを毎日自分が選択しているからで。環境とか色んなことがあったにせよ、最終的に選んでるのは自分なんですよね。だから、自分が選んだことを正解にするにはどうしたら良いか。それを意識してます」

前職ではビジネスマンを対象としたコーチングや、コーチングそのものをレクチャーするという仕事をしていた亜紗さん。その仕事を選んだ際には、有田の現状への問題意識が前提にあった。

「焼き物業界の現状改善のために補助事業でコンサルタントが入ったりしても、結局その人がいなくなったら指導を受けた内容を続けてないとか、言われたことに納得ができないからやらないとか、よく聞く話なんですよね。そうすると、自分で決めてやらないと何にも意味ないんじゃない?って思ってて」

有田に限った話ではないですけど、と亜紗さんは続ける。

「コーチングは、相手と話をして問いかけをしながら気づきを促すというか、自分で答えを決めてもらうんです。それで、自分で決めたことをやって、行動を変えていくっていう手法で。転職活動をしてた時にその考え方にすごく共感したんですよね。結局、自分で決めたことじゃないとやらないよねって」

亜紗さんにとって選ぶことや決めることは、目的地へ辿り着くことを自分に約束することだ。だから決めた後は、ひたすらに進むための必要な努力を積み重ねて向かっていくのだと、お話を伺いながら腑に落ちた。

 

亜紗さんが思うおもしろい未来

 

 「色んなプレイヤーが自分のやりたいことをのびのびやれる未来なら良いなって思います。自分の意思で決めた生き方を楽しめると言うか。そのためには選択肢が出来るだけ多く見えていることが必要で、産業を残すことが選択肢を減らさないことに繋がると思ってます」

有田焼という産業が選択肢としてあり続ける未来を見据えて、亜紗さんは商社としての責任を受け止めている。自分達だけが良ければ良いという態度ではなく、あらゆる工程に関わる人達にきちんと利益が分配されるようにしたいというのが亜紗さんのスタンスだ。

「自分が学生時代に住んでいたよりも、この町に選択肢が増えてるし、色んな道が開けたような感覚があって。色んな生き方の人がいて、すごく多様性があるので、そこを盛り上げていけたらって気持ちがありますね」

のびのびとそれぞれの選択を楽しめるようになるには、自分の考えを伝えられることも大切だ。

「自分の意見を自由に言って良いんだよってことは、これからの人に伝えていけたらなぁって思ってます。だからこういう(取材などの)場で、自由に発言することを意識してて」

亜紗さん自身も交流の場を増やすことが面白さに繋がっているのだと言う。そうやって楽しそうに話してくれた亜紗さんの目には、きっとおもしろい未来へ歩いて行ける道のりが見えている。

聞き手・文章:鈴木 愛子
写真:壱岐 成太郎

蒲地 亜紗(賞美堂本店)のプロフィール

賞美堂本店の長女として生まれ、高校時代までを有田で過ごす。大学進学を機に上京し、大手企業調査会社に就職。その後はコーチングファームに転職し企業経営を支える業務を担う。
東京で結婚し、夫と共に家業を継ぐことを決意。賞美堂本店に入社して、2021年に夫が社長・自身が専務にそれぞれ就任した。
どちらかといえばインドア派なので、お休みの日は家でドラマを観てのんびりすることが多い。