2023.06.24

人生は一度きり。自分の気持ちに素直になって、しなやかに進んでみよう【松尾錦・松尾嘉之】

伝統 松尾 嘉之(松尾錦)
人生は一度きり。自分の気持ちに素直になって、しなやかに進んでみよう【松尾錦・松尾嘉之】

なにかにときめいたり、「おもしろそう」とか「すごく良い」とか心が大きく揺さぶられたり。胸の奥底からぐっと力が湧いてくるような瞬間は、きっと誰しも経験したことがあると思います。

ただ、それを持続させるのはむずかしい。アイデアは浮かんでも行動にうつせなかったり、はじめたところで三日坊主になってしまったり。年を重ねるほど、経験則ができてしまって、心が動きにくくなることもある気がします。

だからこそ、いつでもワクワクし続けているような人のすごさを感じるのです。
今回お話を聞いた松尾 嘉之(まつお よしゆき)さんも、まさにそんな方でした。

本業は、有田町内にある松尾錦工房の絵付師。40年間、器に絵を描く「絵付け」の仕事に携わってきました。ファッションも好きで、人と話すのも好き。ときには海外まで学びに出ていき、磨いてきた絵付けの技術を、体験教室や小学校の授業などで広めることにも取り組んでいます。

コツコツ続ける絵付けの仕事と、さまざまな方向に発揮される好奇心。それらを両立しながら、松尾さんはどんなふうに自分のスタイルをつくってきたのか。お話しを伺いに、工房を訪ねました。

絵付けが終わったお皿やこれまでの作品がびっしりと並ぶ空間。松尾さんは、こちらに背を向けて集中した様子でお皿に絵をいれているところでした。

挨拶すると、くるりと振り返り「よろしくね」と明るく迎えてくれました。一度手を止めてくださったものの、まずは折角なので絵付けの様子を見せてもらうことに。下書きをせずに一度で描き上げるのが松尾さん流。先ほどとはがらりと変わって真剣な表情を浮かべながら、さっと筆を動かしていきます。

その想像以上の筆の速さに、見ているだけで思わず息を呑んでしまいます。

絵付けをひと通り見せてもらったところで、工房に椅子をセッティングし、そのまま話を聞かせてもらうことになりました。

 

視野を広く持ち続けていたい

-素晴らしい職人技に圧倒されました。そもそも松尾さんは昔から絵を描くことが好きだったのですか?

絵付けが家業だったとですよ。親は一日仕事場にいて、兄はおったけど年が離れていて。家では一人で遊ぶことが多かったけん、絵を描くのが好きでした。このスケッチブックが僕の原点なんです。アニメに出てくるものをふざけて描いたのもあるし、花やおふくろも描いとる。すごい寂しがり屋で友だちと一緒に遊びたい気持ちがありながら、こうやって過ごしてたときが多かったね。でも、おかげで小学校のスケッチ大会で入選した時もあったよ。

-小さい頃から絵がとてもお上手ですね。特にお母さまの顔は、よく観察して描かれていることが伝わってきます。その後、どのような進路を進まれたのですか?

一時は芸術関係に進もうか迷ったとです。でも関東の大学で経営学を専攻して、その後はデパートに就職しました。そしたら、たくさんのお客さんにどう喜んでもらえるのかを考えるのが面白くて。しかも8割が女の子だったから、それは楽しくて仕方なかったよ。広告費を抑えるために、自分でモデルなんかもしていました。あ、このチラシの真ん中が僕で、肩に手をまわしている隣の女性が嫁さん(笑)。

-そこからどういったきっかけで絵付師に?

ある時、親戚で当時有田焼のトンネル窯があった文山窯に修行する誘いを受けたとですよ。「作られたものを売るのではなく、自分のものを作ってみないか」って。それでデパートを辞め、3年間の下積み後に家業を継ぐことを決めました。

当時は大学を出て絵付けをしている人はいなかったし、子どもをこれから腕一本で食わせていけるのか不安だったよね。しかも、バブルの絶頂期で、トラックいっぱいに積まれた品にどんどん絵付けしていかなくちゃいけなくて。スピード勝負で描いていくあの期間はすごい経験だったな。もう、がむしゃらだったね。

-ファッションの最先端を追い求める業界から、毎日同じものをたくさん描く仕事へ。松尾さんにとって、この決断をネガティブに感じたことはなかったのですか。

絵をずっと描き続けることが嫌になることはなかったんだよな。でも、デパートで働いていた時の新しいものに触れている感覚を求めて、有田に戻ってからも東京とか福岡にはよく行っていたし、視野を広げていたいのは今も変わらないかな。ある時は、知り合いから「松尾さん、トルコに行ってみらんですか」と誘われて。面白そうだったからトルコで開催された陶芸のシンポジウムに行ってきたとですよ。また行きたいよな。

木も山も見ている人と話すのが好き

-松尾さんには自ら新しい発想を求めにいく好奇心のようなものが常にある気がします。

デパート時代にはね、本物のクリスマスツリーを飾ってお客さんを喜ばせようと社用車で森に行って、勝手に木を切ったわけ。そしたら、帰って上司にすごい怒られたとですよ。社用車でなにしてるんだって。

-それはたしかに、怒られそうです(笑)。

でも何十年か経って、今度は地元の小学校の子どもたちの笑顔が見たくてね。校長先生とこっそり同じように木を切りに行ったとです。そしたら子どもたちは本物のツリーに大喜びしてね。やろうと思ったことは徹底的にやる方がよかもんね。

-その原動力になっているのは、人を喜ばせたいという気持ちなんでしょうか?

人間が好きやけんね。どんな人でも、良いところを見つけたいというのがあるわけよ。たとえば、飲み会をしていて、おとなしい人がいたら気になって仕方ないのよ。早く同じペースに上げてやりたくて。全員が楽しかったと言わないと気が済まないわけよ。そのためだったらなんでもするね。

-周りの人が常に視界に入っているんですね。

そうね。だから、木も山も見ている人と話すのが大好きよ。目の前のことだけじゃなくて、全体も見ている人。それは、絵を描く人じゃなくて、スポーツマンでもよくて。灯す屋のみんなも話していると色んな視点で新しいことを教えてくれるから、いつも楽しみにしてんだよね。工房にもね、10代から80代くらいまでいろんな人が遊びにくるとですよ。その人たちと話すのが面白かね。


-人と関わるなかで、むずかしいなと感じることはないですか? たとえば、違う感覚を持っている人と話すと、新しく刺激を得られることもあれば、相手の考えを変えたくなったりする、もどかしさもあるような気がします。

最近、小学校で絵付けを教え続けて分かってきたことなんだけれど、辛抱だなと思うね。俺はせっかちだから、つい相手に早く答えを出してやらんと、と焦るわけよ。でも上手く話しきれない子もいるやん。5分で描き上げる子もいれば、残り5分でせっかく描いた絵を消す子もいて。そういう時も、その子の尺度で見て、答えが出るまで待ってやらんといかんのよね。大人でも一緒で、まずは相手を知ることから。例えば、地域の会議ではじめて会う人がいる時には、事前に「どういう人ですか」と周りの人に聞いておいたりしますよ。第一印象がこわそうな人でも、趣味でお茶やっているらしい、と分かると、その人らしさが分かって嬉しいじゃないですか。

 

失敗なんて、あるようでないもの

-松尾さんの目からこれからの未来はどのように見えていますか。

まず絵付師として、有田焼があと何年続いていくのかなという懸念はあるよ。昔は応接室に飾るような花瓶やら大きな皿が飛ぶように売れたけど、今の家には床の間もなかもんね。食器にしても、食事に合わせたお皿ではなくワンプレートになってきている。昔と比べると、需要が減って、修行する若者の数も尻すぼみになってるとですよ。

-焼き物に求められている役割が大きく変わってきているのでしょうか。

これまでの有田焼が、今の時代には合っていないのかもしれないと思ってるんだよね。子どもたちを見ていても、(学力的に)僕の高校生時代が今の小学校高学年くらいの頭なのかなと思っていて。自分の時代と同じ感覚で話しちゃだめだよね。レベルが高くてびっくりするもん。だから、未来の有田焼は、ひょっとしたら3Dプリンターを使ったりなんかして今とは違う形かもしれないけれど、その時代にあったクリエイターがつくっていけば面白いんじゃないかな。

-そんな状況のなかで、ご自身はこれからどんなふうにありたいですか。

子どもたちに絵付けを教えているのは将来、焼き物に興味がある子がそこから出てきたらいいなと思っているし、継いでくれる若い人に期待もしてる。でも、俺自身は「こういうのを残したい」というより、教えている時に触れる柔軟性を大事にしたいかな。

-それは一貫して話してくださっていることですね。言い換えると、ご自身も自由でありたいからこそ、目の前の人も自由であってほしいということなのかなと思いました。

今の人は賢いから、優等生すぎるところがあるよね。アクシデントが起こったときに、対応できるかなと心配になるもん。もっと、気楽にぶっちゃけてよいんじゃないのと思うよ。失敗なんて、あるようでないから。

 

時が進めば、思考もどんどん変化していく。
だからこそ、その時に自分が「これだ」と思うものを選んで進んでいけば、自分の輪郭はおのずとできあがっていくのかもしれない。
なにかを避けていくのではなく、目を輝かせながら心惹かれるものを追い求めていきたい。

松尾さんとお話をして、そんな気持ちになりました。

「一生青春しようよ。」

くしゃっとした松尾さんの笑顔を思い出しながら、やりたいことが溢れている時の自分を信じて進んでいこうと思います。


聞き手・文章:草田 彩夏
撮影:壱岐 成太郎

 

編集後記

灯す屋の活動に欠かせないキーパーソンである嘉之さんを取材させていただきました。
地域で活動する私たちのような団体にとって、地域に長く根付き絶大なる信頼を置かれている嘉之さんのような存在は極めて貴重です。

しかし、必ずしもその存在がポジティブに働くケースばかりではありません。想いを理解してもらえずに、場合によっては活動を休止せざるを得ないようなことも起こります。

私たちが出会った嘉之さんは、記事のとおり、子どものように柔軟で前向きで好奇心の塊のような人でした。また、誰よりも優しく、誰にも平等に接してくれます。これまでに私は色んな人たちを松尾錦工房に連れていきましたが、その全ての人と目を輝かせながらお話ししてくれました。そんな嘉之さんは、私が最も憧れる大人です。ぜひ、嘉之さんに会いにきてください。

心からの感謝を込めて。(灯す屋 S)

松尾 嘉之(松尾錦)のプロフィール

1954年4月14日生まれ。武雄高校、専修大学 経営学部卒。1977年、佐世保玉屋入社。2007年、三越で初の個展(14日間)。2010年、トルコ共和国での陶磁器シンポジウムで登壇。2012年、NHKドラマ「あのひと あの日」に小学校教師役で出演。2015年、NHK「ゆく年 くる年」にて碗灯2600個の絵付け指導。2016年、日本の次世代リーダー養成塾にて全国の選抜高校性200人に絵付け指導。2021年、広島県立美術館にて100人に絵付体験。ほか多数。